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米山けい子氏に聞く


Q.フードバンクを始めたきっかけを教えて下さい。

A.2008年に理事を務めていた生協を退職した後、何らかの形で地域に貢献したいと考えました。どんな活動ができるだろうかと模索していたときに、フードバンクという活動を知り、自宅を拠点 として1人で活動を始めました。

Q.フードバンクを始めるにあたって、あるいは活動を継続するにあたって感じられた困難はどのようなものでしょうか。また、その困難をどのようにして乗り越えられてきたかを教えて下さい。

A.活動を開始した2008年当時はフードバンクという活動が国内で新しい活動であったため、ほとんどの人がフードバンクという活動を知りませんでした。行政に活動の説明や協力の要請に行っても担当が無い、個人情報が、公平性が、一NPOとは協力できない等、たらい回しにされることがほとんどでした。

企業にも一件一件訪問して活動への協力をお願いしましたが、活動を始めて間もない当時は中々協力を得られませんでした。それでも諦めるということはしませんでした。困難な中でも熱意をもって活動を続けていくと必ず助けてくれる方が出てきます。

様々なセクターの方を活動に巻き込みながら、素直に学び、助言を元にひたむきにコツコツと積み上げてきたことで、様々な困難を乗り越えることが出来てきたのだと思います。

Q.フードバンク活動を継続して続けてこられたその熱意は何でしょうか。

A.飽食の時代と言われる日本において、明日の食事にも事欠く子どもたちがいることは、なかなか気づけません。私もフードバンク活動を始めなければ、今でも気がつくことができなかったと思います。

この活動を始める前の16年間、私はアフリカの子どもたちへの支援活動をしていました。活動訪問をしたマリ共和国では、子どもたちはボロボロの服を着て、生まれてから一度もお風呂に入ったことがなく、身体も痩せ細っていました。見ただけで、子どもたちの貧困がわかりました。

それと比べると、日本における子どもの貧困は、見た目では分かりづらいのです。昨年行った「子どもの食生活調査」で、生活が大変な時の食事について聞いたところ、ご飯にお茶漬け、ご飯に納豆、食パンなど、炭水化物をたくさんとっているので、太っている子どもがいることも分かってきました。そして、洋服もいただいた物や安い物もありますから、服装からも分かりづらいのです。

さらに、子どもたちは親を気遣かったり、恥ずかしいという思いから、学校の先生や友だちにもほとんど話しません。また、調査では「これを食べたら朝ごはんあるの?と泣き出した」「食事がお通夜のよう」等の声が寄せられ、お腹を満たすだけの食事となり、食べる事の楽しさや家族団らんの場も失われていることもわかりました。豊かな食事やおやつが当たりまえの社会において、フードバンクからの食料支援のお米やおやつを心待ちにしなければならない貧困状態に置かれた子どもたちがいることを思うと、胸が痛くなります。

食べ物に事欠く子どものいる社会を望む人は誰もいないでしょう。子どもの貧困対策には誰もが賛同してくれます。しかし、賛同だけでは解決には向かいません。今、私たちに求められているのは、一人ひとりが地域の身近な問題として子どもの貧困と向き合い、行動することだと思います。

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